30年苦しんだ万年風邪が眼科で快方になった!その意外な原因とは

小さい頃から注射ばかり

園児時代から病弱で、園から帰ると小児科。
薬の粒数がどれだけ多くても飲み込めるのが自慢でした。今、冷静に考えると悲しいことですね。

小学校に上がる頃には医師の会話だけで自分がなんの病気か察しがつくほどに、病院通いばかり。
そうそう、砂遊びのやり方も、子育て開始してから覚えたんですよ。何故なら、幼い頃に砂で遊んで高熱を出してひっくり返って、親に禁止されたからなのです。砂遊びすら、知らずに生きてきたんです。

近所の内科耳鼻科は制覇

何処の病院へ行っても、風邪か万年鼻炎。たまに下痢。いつも病弱で、学校も休んでばかり。青白い子供でしたし、寝込むことが多い為体力がなく、当然外では遊べず肌は白くて…そこだけが褒められていました(苦笑)

遠足も最後まで行けずリタイヤとか、出発前の校庭で気絶して倒れて傷だらけとか。成長し、やがて彼氏というものが出来ても、デートでは半日で座り込んで困らせる始末。
基本的に薬なしでは生活が出来ず、風邪でふらふらの状態で働き、デートしていたら当然ですよね。
なんと、20歳の誕生日に現夫に「薬用養命酒」を贈られたのは笑い話ですが、事実なのです!
それくらい、万年風邪には悩まされていました。

喉は常に痛いものだし、血の混じったタンが出るのも毎日。鼻は詰まっているかズルズルというのが、当時の私の世界での常識でした。

どのお医者様にかかっても、薬か注射。
一向に良くなることはありませんでした。
そうそう、インフルエンザに罹った時に気付かなかった程、一年中体調が悪かったのです。
朝晩点滴を打たないと働くことが出来ない程、20代前半にして身体はボロボロでした。

子供を連れて行った眼科で、転機が訪れる

そしてこんな私と結婚してくれた夫は、バリアフリーの家を建て「こどもがほしい」と言い出しました。
こんな身体の弱い私に何を言うの?とも思ったけれど、家を建てて一生守ると言ってくれる夫の願いを叶えたいと、思うように。

そして出産し月日は経ち…


ある日、私には似ず健康体そのものの息子が、私と同時に結膜炎を患ったタイミングで、厳しくて怖いが、名医と評判の眼科へ。
ここが運命の扉でした!
そこで初めて「お母さん、鼻腔が非常に狭いですね。普通でも呼吸が辛い状況の筈。しかもこれだけアレルギーが強いとなると、更に過酷だ。掃除の仕方を変えなさい。」と言われました。

鼻腔が狭い?

アレルギーは知っていたけれど、どの病院でも万年鼻炎って書かれるだけだった。アレルギーのレーザーも自費治療で何度か受けたけど一時的なものだった。
つまり、私は常に鼻をつままれたような状態で天然の空気清浄機である鼻毛の恩恵に預かることも出来ず、口呼吸をするより手立てがなかったので風邪をひいていたと言う事なのです。

早速、掃除機が一番いけないとのことで拭き掃除に変え、耳鼻科でハウスダストアレルギーの根治治療を2年かけて取り組みました。

鼻で呼吸出来る世界を知る

信じられないことでしょうが、鼻で深呼吸をほとんどしたことが無かったのす。出来なかったのです。鼻の穴はビッグサイズなのに、奥が細いなんて、ああ神様!!(笑ってください)

アレルギー治療のレーザー後、若しくはよく効く抗アレルギー剤無くして、鼻呼吸をした経験がないのです。それがどうでしょう。
鼻で深呼吸が出来るようにまでなりました。

根治治療は筆舌に尽くしがたい辛いものですが、それでも、薬なしで呼吸ができることに感動を覚えました。頭もずっとボーッとしていましたから、こんなに冴え冴えした世界で皆はテストを受けていたのか!と衝撃を受ける程の感動がありました。

そして、鼻で呼吸し、口を閉じることによって口角が中学生の頃より、上がるようになったほど。
口呼吸をしないことで、何よりもあんなに悩んで時間と治療費を莫大にかけてきた万年風邪と縁を切ることに成功したのです!!

木を見て森を見ず

なにかトラブルがある時に、人はついその「トラブル」だけに躍起になり、一箇所だけを何とかしようとします。
でもその元凶となっているものは何か?
広い視野で、トラブルの根を断ち切るのはなかなか難しいですね。
私の場合の解決方法は鼻腔構造とアレルギー反応、掃除方法であり、小さい頃から添加物を避けて暮らしていたことはあまり功を奏さなかったのです。

例えば、頭痛の時に手のツボを押すように。
風邪が眼科によって治った。
まさかの視点が結果を生むことも確かにあるのだと知った案件でした。

掃除については長くなりますので、また別の機会にお話ししますね。